〈解 題〉『自民党解体論』復刻について
五明紀春
本書は、田中秀征『自民党解体論―責任勢力の再建のために』(田中秀征出版会、発行者長田恵輔、昭和四九年刊)の復刻版です。かねて田中秀征氏の新著の出版を計画されていた木内洋育氏(旬報社社長)が、偶々、田中氏の旧著を目に留められ、これの新装復刻を企画され、刊行の運びとなった次第です。
とはいえ、復刻版の刊行に当たっては、既に五〇年の時を経て、時代状況はすっかり変わっていることもあり、最初は田中氏自身、今、敢えて旧著を復刻することの意義があるのかどうか、また、記述の内容にも考慮すべき点もあるところから、躊躇するところ少なくありませんでした。しかし一方、筆者自身、旧著の出版に関わった者の一人として、木内社長のたっての提案を受けて、あらためて熟読、検討した結果、復刻版の刊行は、きわめて時宜を得た企画であるとの確信を持つに至りました。むろん、現下の自民党および我が国の政治をめぐる状況を踏まえてのことでありました。しかし、それにもまして同書の全ページにわたる「政治の本質」にかかわる洞察にあらためて目を開かされる思いでした。その刊行は単なる「過去の復刻」に留まらない今日的意義を秘めたメッセージであると思うに至りました。予期せぬ経緯を辿っての刊行となった次第です。また、私個人にとっても、長い時間を隔てて、こうして復刻版刊行に携わることになったことは、感慨無量というほかありません。
『自民党解体論』刊行の経緯と復刻の意義
この五〇年間、大小さまざまの不祥事が自民党を窮地に陥れ、国民の不信を買うことは少なくありませんでしたが、とりわけ近年の政治資金不正問題等は、この政党を存亡の淵にまで追いつめるに至っています。
先の衆院代表質問(令和六年一月三一日)においては、ついにこんなやり取りが交わされるまでになりました(朝日新聞二月一日朝刊)。
自民党・渡海紀三郎氏 信頼回復をやり抜く覚悟はあるか。
首相 解体的な出直しを図り、信頼回復に向けた取り組みを進めなければならない。国民の信頼回復のために、火の玉となって党の先頭に立って取り組んでいくと言った。その思いは変わらない。
当の自民党総裁の口から「解体」の言葉が飛び出すまでに至ったのには、『自民党解体論』復刻版の準備を進めていた折だけに、正直、大変驚きました。この党は、そこまで朽ちてしまっていたのかとー。そして、これからどこへ向かって漂っていくのだろうかとー。同時に、五〇年前よりもはるかに退化・劣化しているかに見える自民党の想定を超えた惨状に、さらなる大きな衝撃を受けました。旧著『自民党解体論』復刻が急がれるとの思いを募らせた次第です。
原本『自民党解体論』は、そもそも若き日の田中秀征氏にとっての「行動の宣言」であり、「決意の表明」として執筆、刊行されました。当時の事について、関係者として、少し触れさせていただきたく思います。
著者の田中氏は、昭和四七(一九七二)年の総選挙に「新旧交代」を掲げて初出馬(旧長野一区)、三二歳でした。準備期間一年有余、盤石の基盤を持つ現職三人を相手に単騎出陣の突撃となりました。しかし、若い新人候補が選挙区の長年の沈滞を破った衝撃は小さくありませんでした。『自民党解体論』は、その初挑戦の実体験を踏まえて、昭和四九年一月~三月に集中的に書きおろされ、刊行されました。
文字どおり「手づくりの本」として、著者自ら写真収集、図版作製に当たり、また、同志たちが起ち上げた「田中秀征出版会」が、資金の調達、用紙の確保、印刷・編集・校正・販売のすべてを引き受けました。著者のために特製の原稿用紙まで印刷して用意したほどでした。こういう次第で、同書は、刊行されるや手から手へ、人から人へと選挙区の隅々まで衝撃波となって瞬く間に浸透し、新しい時代を切り開かんとする若者世代を鼓舞し、叱咤激励する「うねり」を巻き起こしたのでした。
当時、田中氏に共鳴して決起した草莽の若者たちも、すでに高齢に達しました。かく言う私自身も田中氏の九回に渡る選挙のすべてに責任ある立場で関わって来ました。当時の同志の皆さんが、今、この復刻版を手にされて、どのような感慨を持たれるだろうかと、また、今の時代の若者たちにどんなメッセージとして受け取られるだろうかと、これも大いに気になるところでもありました。さて、同書が一面的な『自民党打倒論』『自民党撲滅論』ではなく、あくまでも「責任政党のありかた」を真正面から問うものであり、その意味で『責任政党再建論』とも言うべきものであることを強調しておきたく思います。むろん「政策提言」の類でもありません。およそ政治を志し、それに生涯を賭けようとする者の覚悟と決意と資格を、著者自らにも厳しく問う『政治家責任論』であり、同時に「ともに同じ時代を生きる人たちへの熱い呼びかけ」でもあることが、一読して了解していただけると思います。その著者の姿勢が「政治を自らの責任で引き受けよう」と当時の若者たちを起ち上らせた原動力になったのではないでしょうか。本書が著者自身の「行動の宣言」「決意の表明」である所以です。
さて、復刻版刊行に当たって、私自身にとって一番関心の持たれる点は、本書『自民党解体論』に照らして、五〇年後の「今の自民党」は一体どのように映るだろうか、その「まな板」の上でどのように「解体」されることになるのだろうかということでもありました。
私の理解では、自民党という政党は、戦前のふたつの保守政党「政友会」「民政党」をルーツとして、終戦直後「自由党」として結集、紆余曲折を経ながらも昭和三〇年保守合同によって「自由民主党」として、現在に至っています。終戦後八十年、保守合同から七〇年、この間、ごく短期間の数回の下野を数えるのみで、文字通り世紀を跨いでわが国を統治し、「国のかたち」を作って来ました。かくも長命の政権政党は、世界の民主政体の国では例を見ないのではないかと思われます。
実際、超長期に渡り、わが国民は「自民党の空気」をひたすら呼吸しつづけて来ました。また、それ以外の空気をほとんど知らないままに今日まで至っていると言っても過言ではないでしょう。時に、不祥事にまみれることがあっても、この党に「出直し」「再建」をきびしく求めることはあっても、「退場」に追い込むことはほとんどありませんでした。
しかし、この度、「令和の混迷劇」の帰趨は予断を許さない状況にあるように思われます。とりわけ過去四半世紀においては、我が国には往時の活気と高揚感は見る影もなく、経済産業、学術研究など多くの分野で先進諸外国の後塵を拝するまでになってしまいました。国民の間の経済格差も広がり、生活インフラの劣化も覆い難く、国全体に「衰退感」「凋落感」が蔓延するに至っています。この間、政権政党であり続けた自民党の責任を問う国民の目には、かつてなく険しいものがあります。
国力の低下を目の前に、まさに「政治の出番」の時に当たり、党総裁自ら「解体」を口走り、派閥が次々解散に追い込まれている現状は、五〇年前の自民党と比べても目を覆うばかりというほかありません。責任政党として磐石と見えた自民党の「構造と体質」そのものが、時代の進展の中で、いよいよその弱点と病理を露わにした結果のようにも思われます。もし、そうであるとしたら、『自民党解体論』復刻の今における意義は決して小さくないと言えるのではないでしょうか。
田中秀征の軌跡
田中秀征(たなかしゅうせい)
長野市出身(一九四〇年―)。東京大学文学部西洋史学科で近代ヨーロッパ政治史を専攻。卒業後、北海道大学法学部に学士入学。恩師林健太郎教授(後東大総長)の勧めにより、北大を中退、石田博英衆議院議員の政策担当秘書を務めました。
その後、一九七二年総選挙に旧長野一区(定数三)から無所属で出馬、落選(二万二千余票)。当時の旧長野一区は自由民主党二、社会党一の無風区でした。以後、三回、落選を繰り返し、この間、一時「新自由クラブ」に籍を置いたものの路線の相違から離脱、心機一転、選挙区全域二万軒訪問を敢行します。一九八三年、無所属でトップ当選を果たしました。当選後、自民党より追加公認を受けて宏池会に入会、宮澤喜一氏に師事します。
一九八五年、一年生議員ながら、自民党結党三〇周年を受け「昭和六〇年綱領」の起草を一任されました。しかし「われわれは憲法を尊重する」「時代の変化に応じて絶えず見直しの努力を続けていく」の条項に反対論が出て志し半ばとなりました。
一九八六年総選挙で再び落選、北海道大学に再入学、もっぱら充電に努めました。一九九〇年総選挙で再びトップ当選を果たし、四年ぶりに国政に復帰しました。一九九一年一一月、宮澤内閣誕生で経済企画政務次官に就任、「生活大国構想」の具体化に取り組みます。この間、政治の改革のため、新党宣言をした細川護熙氏と将来の協力関係を約しました。
その後、武村正義氏に責任政党の再建を目指し自民党離党と新党結成を提案。一九九三年六月一八日、宮澤内閣の不信任決議案の採決では反対票を投じて、同日、他の九人の仲間とともに自民党を離党しました。六月二一日、新党さきがけを結党、武村代表の下で党代表代行に就任します。
保守本流の再生を結党の理念(以下五項目)として以下を起草しました。
① 私たちは日本国憲法を尊重する。憲法がわが国の平和と繁栄に寄与してきたことを高く評価するとともに、時代の要請に応じた見直しの努力も傾け、憲法の理念の積極的な展開を図る。
② 私たちは、再び侵略戦争を繰り返さない固い決意を確認し、政治的軍事的大国主義を目指すことなく、世界の平和と繁栄に積極的に貢献する。
③ 地球環境は深刻な危機に直面している。私たちは美しい日本列島、美しい地球を将来世代に継承させるため、内外政策の展開に当たっては、より積極的な役割を果たす。
④ 私たちはわが国の文化と伝統の拠り所である皇室を尊重するとともに、いかなる全体主義の進出も許さず、政治の抜本的改革を実現して健全な議会政治の確立を目指す。
⑤ 私たちは、新しい時代に臨んで、自立と責任を時代精神に捉え、社会的公正が貫かれた質の高い実のある国家、「質実国家」を目指す。
一九九三年総選挙では三度目のトップ当選を果たし、新党さきがけと日本新党の主導の下、自ら「政治改革政権」を発案、提唱し新生党など非自民政党を結集して細川護熙政権を樹立、官邸の要として、総理大臣特別補佐に就任しました。内閣に「経済改革研究会」を立ち上げ、政策策定の中心的役割を担うことになりました。
しかし、一九九四年一月、懸案の政治改革四法の成立の翌日、「特命政権」の任務は終了したとし、首相特別補佐を辞任。なお、選挙制度については、かねて中選挙区連記制を持論とし、小選挙区制には反対の立場を取り、国会代表質問においても小選挙区制の再検証を主張しました。小選挙区制の弊害として、次のような点を挙げていました。
① 小選挙区では、候補者はあらゆる団体の支援を期待し、政策論争に踏み込まなくなる。
② その結果として政策の調整はすべて霞が関官僚に依存するようになる。
③ 政党の政策形成・調整力の劣化を招くおそれが強い。
④ 小選挙区選出議員は予算や許認可の「中央への運び屋」になるおそれが強い。
一九九四同年四月、細川内閣総辞職に伴い、新党さきがけは政権を離脱。
一九九四年六月、自ら提起した自社さ連立内閣(村山富市総理)が発足。首相ブレーン組織「21の会」を結成、座長に就任、また、超党派で「国連常任理事国入りを考える会」(田中代表幹事)を立ち上げました。
一九九六年一月、自社さ連立政権の第一次橋本内閣で経済企画庁長官に就任、金融など六分野の規制緩和を検討する経済構造改革に取り組みました。一方で、細川護熙と小泉純一郎の三人で「行政改革研究会」を立ち上げ議論を主導しました。
一九九六年一〇月、小選挙区制導入後の最初の選挙で落選、経済企画庁長官を退任。
一九九六年九月、福山大学教授(現客員教授)、学習院大学特任教授、北海道大学大学院特任教授を務める傍ら、「田中秀征の民権塾」を立ち上げました。その後「さきがけ塾」として現在に至っています。
『自民党解体論』断章
『自民党解体論』が五〇年の時を超えて、今を生きる我々への力強いメッセージであり、その洞察のいささかも陳腐化していないことにあらためて大きな驚きを覚えます。とりわけ、日本の政治を少しでも良くしようとの志に燃える若い人たちに向けてのかけがえのない「檄」であるようにも思われます。そのような観点から、『自民党解体論』の精髄とも言うべき章句を筆者なりに抜粋して、以下に掲げさせていただきました。参考に供していただければ幸いです。なお、小見出しは筆者、パーレン内頁数は本文頁数。
政治勢力の信頼性
人々は、何をするかわからない人、何をするかわからない党より、不充分ではあっても危険の少ない政治勢力に信頼を寄せるのである。(八五頁)
二つの登場ルート(相続型と出世型)
擬似新人の横行もまた自民党の末期現象のきわ立った一面なのである。相続型の中で、真性相続型ともいうべきいわゆる二世議員は……一方、県議などの地方議員を経て登場した、いわば〝出世型〟議員は相続型とともに若手新人の二つの登場ルートを形成している。相続型は、議員年齢が若い層ほど多くなっている。(九四頁)
二世議員の限界
相続型議員の輩出は、自民党に年齢的な若返りをもたらし、新しい時代の開幕を思わせるが、実は彼らは、心ならずも政治の老化を巧みに覆い隠す役割を果している。(九五頁)
一世と二世
一世は後援会をつくったが、二世は後援会につくられるのであり、一世は新しい時代を産んだが、二世は古い時代から産れるのである。(九五頁)
行動を許されない二世
彼らは、維持者としての使命を忠実に果すために、何かしているふりをしながら、「何もしない」ことを厳しく要求されるのである。彼らには、存在は許されても、行動は許されていない。(九六頁)
政治における行動
既成の組織や人間関係との深刻な摩擦や抗争を伴わない「和気あいあいとした行動」などはあり得ないのである。(九六頁)
見せる男たち
「見せる男たち」の競演は、いわば代表民主制の宿命である。われわれが投票手続きによって権力を設営するという制度をとる以上、それは避けがたい付随物である。(一〇二頁)
野心家の役割
彼らは、時代を開くような危険で割りの合わない役割は決して負わないが、そのかわり、旧時代とも冷酷に絶縁する俊敏さを持っている。時代に乗り遅れないように、しかも、乗りまちがえないようについて行くときの彼らの状況判断力は絶妙の冴(さ)えを見せるのである。(一〇二頁)
野心家の合流
歴史は、野心家の合流によって雪崩現象を起こす。理想主義者とその少数の共鳴者たちの行動が、歴史の新しい主流となることをいち早く感知した野心家たちは、われ先にと彼のもとに馳せ参じる。そして彼らの後からきまり悪そうについて行くのが、既成のエリートたちである。……そして野心家の合流なしには歴史は断じて動こうとはしない。(一〇三頁)
疑似新人
自民党の若手新人はこうして相続型と出世型にはっきり二極化していることが明らかになった。彼らはいずれも〝疑似新人〟なのである。自民党構造の致命的な欠陥は、それが疑似新人しか送り出し得ないところにある。(一〇三頁)
林立する旧人ピラミッド
自民党の地域における政治基盤は、ピラミッド状をなして全国、特に農村部にくまなくそびえ立っている。この林立するピラミッドは、すでに時代的役割を終えている故に〝旧人ピラミッド〟と呼ぶことができよう。旧人ピラミッドは復興の時代の遺跡なのである。(一〇四頁)
復興時代の遺跡
このピラミッドは、戦後復興のための、人々の情熱、活力、知恵の供出ルートとして構築されたものであった。……それは草創期においては、それなりに〝信頼の構造〟であり運命共同体であった。(一〇五頁)
ピラミッドの変質
人々は、国家と時代の運命に対して、政治家に、制限的委任ではなく、白紙委任をしたのであった。 ……しかしこのピラミッドも、……次第にその有用性を失なっていく。……かつての信頼の構造が、一転して〝受益の構造〟となり、果(は)ては〝不信の構造〟になり下がったのである。(一〇六頁)
旧人ピラミッドの荒廃
三〇年代以降、すなわちピラミッドが無用化してからの参加者は、ほとんど欲得をむき出しにした悪人か、あるいは、これを利用して出世しようとする卑小な野心家である。そして、草創期から運命を託してきた善良な底辺の人々は、ピラミッドの荒廃を憂えながらそこにとどまるのである。(一〇六頁)
旧人ピラミッドは「核のカサ」
ちょうど核のカサのようなふしぎな魔力を持っていて、そこに運命を託してさえいれば、安心して日常生活に没頭できるのであった。……旧人ピラミッドは底辺にいけばいくほど、より精神的、心情的な色合を増し、さらには文化的な香りさえかもし出すのである。(一〇七頁)
旧人ピラミッドの相続
ピラミッドの形状と規模に何らの変更をもたらすことなく維持する唯一の方法は〝世襲〟である。…… まるで大名の家督相続のように複雑な思惑が交錯する。……息子がいなければ女婿が相続し、それもいなければ未亡人が弔い合戦に立ち、あるいは兄弟がその遺志を継ぐのである。(一〇八頁)
旧人ピラミッドの簒奪
さて、出世型は、旧人ピラミッドを、……一段ずつ根気良くよじ登ってきた人々である。……分離独立の機を虎視耽々とうかがうのである。しかし、彼らは旧人ピラミッドから分離して、それを解体に追いこむものの、実は、その中古の礎石であるミピラミッドを収集再編成して、自分を頂点とするピラミッドを再建するだけである。……旧人ピラミッドの落伍者や追放者を収容するため、いっそう粗悪なものになるのが常である。(一〇九頁)
旧人ピラミッドの買収
ちなみに、資金型すなわち金権候補は、このピラミッドを買い占めにかかるものである。彼は、すなわち、旧人ピラミッドの市場価格をみごとに公開してくれたといえる。(一〇九頁)
自民党の血液
政治資金は、その相当部分が政治家個人の優雅な生活のために計上され、残りが旧人ピラミッドの頂点から放流される。現金がピラミッドの底辺近くまで及ぶのは選挙の時だけで、通常はその上部で、砂漠の中の川のように消えてしまう。(一二九頁)
政治家の口癖
政治家は、口を開けば、「政治に金がかかりすぎる」「選挙に金がかかりすぎる」と慨嘆する。あたかも彼らにとって、それが不本意きわまるという口ぶりで憂えるのである。……そして「運動を始める」ことを「金を使い始める」といってはばからない。(一三〇頁)
責任勢力の意思と力
政治には一瞬の休みとてない。それはわれわれの生命に休みがないからである。この休みなき責任を受けて立つ意志と力を持つ勢力こそ「責任勢力」に他ならない。それは、時代の良識を統合し、国民的な合意を実現していく勢力である。(二一七頁)
責任勢力の三つの感覚
責任勢力は、……三つの厳粛な事実認識に立たなければならない。それはそれぞれ「国家感覚」「時代感覚」そして「責任感覚」という言葉で表わすことができよう。(二一七頁)
責任勢力による統治
責任勢力には、〝許しがたい敵〟は存在しない。それは、選挙技術や治安の強化によってではなく、ただその政治内容によって批判勢力を迎え撃つ。これらを有する政治勢力は、いわゆる統治能力を持つ〝まかされる政党〟として信頼をえるのである。(二二〇頁)
まず自分自身を改革すること
今、自民党政治家にとって最も必要なことは、党を改革することではなく、まず自分自身を改革することである。……もう絶えて久しく、われわれは、政治家の責任、道義、勇気のきわ立ったさまを見たことがない。(二六五頁)
政治的個性とは
卓抜した政治的個性にただひとつ共通するものは、彼らがいかなる状況にも呑まれず時代の流れにも流されないことである。彼らは、その力を意志的にではなく、本性的にたずさえている。(二六八頁)
解体する道
なぜわれわれが、自民党を打倒する道ではなく、自民党を解体する道を選ばなければならないか。…… 新しい責任勢力はほとんど例外なく古い責任勢力と連続性を持つ。それは、時代が変わってもそれを組成する人が変わらないからである。(二七一頁)
非イデオロギー政党
自民党は、唯一の非イデオロギー政党であり、唯一の責任政党であった。それは、イデオロギーの信仰を拒絶し、批判者への定住を嫌う人々にとって、たったひとつの住家であった。(二七二頁)
素朴な願い
われわれがめざすのは、思想の制覇でも国家社会の転覆でもない。この時代を、この日本を、そしてわれわれ自身を〝より良くする〟という素朴な願いが、真実履行されていく政治である。(二七二頁)
自民党解体のめやす
自民党解体の最も現実的で具体的な目やすは……経済団体および特定産業(業界団体)の名における献金を受けない……自民党という衣服は、政治資金という一本の糸だけで縫い合わされている。この糸に異
変が起きれば、さしもの巨大な衣服も一挙に解体を余儀なくされてしまう。(二七二頁)
〝全き新党〟の誘惑
無所属新人は、原則的に、自力でこの困難を突破して来なければならない。……決して、政策協定、共通スローガン、あるいは同志的結合に性急であってはならない。……われわれの最も警戒すべきことは、〝全き新党〟への誘惑である。……もしも、われわれの新人に共通の広場が生まれるとしたら、それは「新人連絡会議」ともいうべき連絡機関が好ましい。(二八一頁)
待たれるミラボー
われわれの行動が、思いがけない早さで雪崩現象を呼ぶとしたら、そのきっかけは〝二世新人〟の参加である。(ミラボー:貴族出身の仏革命の立役者)(二八五頁)
二世新人の試練
彼らは臆病な追従者となることによって歴史から徹底した悪罵を受けるか、さもなければ勇敢な先達に踏み切ることによって、浴びるがごとき讃辞を約束されている。思えば二世たちは単に出生のめぐり合わせだけで、かくも過酷な選択を強いられ、その見識の度合を試されているのである。(二八五頁)
議会の生命
議会の生命はあくまでも変わることにある。それは政治状況の常設の噴出口であり時代変化ののぞき窓である。……政党政治は議会の過剰な変動を抑制し、そこに安定性と予見可能性を与えるものである。(二九一頁)
無所属新人の制度的排除
平常時、選挙時を問わず、政治活動は「政党政治」の名の下に無所属をあからさまに排除する仕組になっている。(二九一頁)
平均人の衝撃力
時代転換の決定力となった政治家は、申し合わせたように平均的な時代人である。彼らにあえて非凡さを認めるとしたら、それは彼らが平均人の典型であったこと、そして最後まで平均人として貫徹したことに尽きるであろう。(二九四頁)
時代転換の導火線
彼らの登場が一挙に時代転換の導火線となるのはなぜであろうか。……それは、平均人の典型である彼らのやむにやまれぬ決意が、そのまま大多数の人々の決意そのものを代表するからである。(二九四頁)
政治的人格には定型がない
古来、服装、身振り、演説口調あるいは体驅や性格のすべてにわたって、政治的人格にはそれ固有の鋳(いがた)型はない。(二九五頁)
平均人の風俗・常識
彼らは、平均人の風俗で政治家の風俗を戯画化し、平均人の常識で政治家の常識を圧倒した。陳腐化した既成のプロを粉砕し、アマチュア精神に新しいプロの座を与えたのである。(二九五頁)
政治家らしさ
〝政治家らしさ〟とは、その時代を築いた特定の政治的個性の残照にすぎない。彼らはその業績とともに風俗をも残して去る。(二九五頁)
新人の条件
新人はただ、自由で鋭利な感受性をもって時代のゆくえを洞察し、おのれの信ずるところを鮮明な行動の軌跡として表現していけばよい。そして避けがたい非常な境涯にあって、なお平均人の感性を維持する精神の強靱さがあればよい。(二九六頁)
打開への意思
〝新人〟とは何よりも打開への意志である。……それは、状況を変えることはあっても決して状況に変えられることはない。そしてこの意志の一途な直進過程が、自動的に既成政治の構造を破砕しその体質を根底から変えていくのである。(二九六頁)
位置のエネルギー
したがって新人の衝撃力はその走行距離に比例する。現実政治との距離の大きさが新人の〝位置のエネルギー〟を決定し走力を限界づけるのである。(二九六頁)
水底から浮上する小さなゴム毬
新人は無名で無力であればあるほど当選は困難であるが、それゆえに当選の与える構造的破壊力は絶大なのである。水底から浮上する小さなゴム毬を思えばよい。水圧に抗しながらも刻々と勢いをえて、ついには止めがたい力で水面高く突破してしまう。(二九六頁)
資金の力
一体、時代の要求に合致した行動に多額な資金がかかるわけがない。財貨で政局を動かした例は数多いが、時代を動かした例はほとんど見当たらない。(二九八頁)
新人たらしむる課題
新人にとって最も重要な課題―新人を新人たらしむる課題―は、ここまでの蓄積を独力でなしうるかどうかに集約されている。(二九九頁)
われわれがめざすもの
われわれがめざすもの、それはたかだか「納得できる政治」「明快な政治」であって、夢のように完全なユートピアではない。……自立した個人に内在する健全な時代精神を政治の首座に晴れて復位させること―われわれの行動目標はそれに尽きよう。(二九九頁)
残された一本のロープ
しかし、われわれの行動が不幸にして既成政治のなりゆきを押しとどめることができなかったにせよ決して徒労には終わらない。少なくともそれは、やがて断崖に宙づりになるであろうこの時代を、かろうじて支える一本のロープにはなるにちがいない。(三〇〇頁)
新人よ自民党解体の斧となれ
一撃よく解体の決定力となる強靱な斧―そこに時代の希望が集中している。そのためにこそ時代は爛熟している。良識、すべての人々の中に眠る責任の意識、義務の心、自制の理性―それがこの斧をふるう指定の力である。(三〇一頁)
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