第十二回 『駒場の青春 【1】』
もう10年以上前のことだが、渋谷の旧東急プラザの中で、突然「秀征さーん」と大声が聞こえた。20メートルは離れていたと思うが、老婦人が必死になって手を振り叫んでいた。
僕もすぐその人が、駒場東大前の喫茶店「ボーカル」のママさんだと判った。当時の東大生ならほとんどの人が知っているはずの美人ママさんだ。
時代は「60年安保」の真最中で、寮生は僕のような田舎者ばかり。「ボーカル」でコーヒーを飲んで音楽を聴くのが、これぞ都会という感じであった。
小走りに近づいてくるママさんは涙を浮かべている。
「あの頃は良かったね。夢のような時代でした。」と大声で話すので、通りすがりの人が何人も足を止めた。
旦那はこわもてだが優しい人で、僕が初当選した折は事務所に電話もくれた。
近年僕は、東大の駒場図書館でしばしば原稿を書くようになった。かつて駒場寮があった跡地にあるのが魅力で足を運ぶが、自分の著書も置いてあるので感無量だった。
昔の東大前商店街は、かつての「東大前駅」と「駒場駅」が「駒場東大前駅」に統合されてすっかりさびれ、「ボーカル」の通りは残っているが、何軒かの他の店もなくなっている。
昔からの床屋で「ボーカル」のご夫婦について聞くと、既に亡くなってしまっていることがわかった。
コロナ以後、駒場図書館にご無沙汰しているが、先日電話したところ、「在学生の利用は復活しましたが、卒業生はもう少しお待ちください。」とのことだった。
駒場時代、ジェームス・ディーンの「ジャイアンツ」の映画が好きだったが、僕が店に入るとマスターがママにあごで合図し、ママがレコードを途中で「ジャイアンツ」に変えるサービスをしてくれた。「そこまで!」とは思ったけど、いつもカウンターに向かって小さく頭を下げた。今まで他の曲を聴いていた人には、本当に申し訳なく思った。
みんながそれぞれ忘れられない思い出を刻まれた時代であった。
2022.5.17