「宮澤喜一の足跡」はじめに

 一人の人物を通して歴史の一端を語るという手法は古来より多く存在する。本書は、日本の戦前から二十一世紀までの政治史を対象とするが、そのような長期間を担える人物は果たしてどれだけ存在するだろうか。彼の長い年月の間のほとんどが政治史の中枢におり、語られるべき挿話は数多く散在している。そんな人物にスポットライトを当てたい。その人物は年配者からすれば、つい何年か前まで生きていた最近の人であるかもしれないが、若者にとっては、もはや歴史上の一人物である。その人の名は宮澤喜一という。

 これまで彼の一生涯を通した伝記が存在しなかったことが、本書作成にかかることになった一番の理由である。そして、彼の思想や考え方を今一度見直すきっかけを作っておきたい。

 彼の動向を追いかけると、政治・経済・外交・防衛の重要箇所が必然的に見えてくる。彼自身の考えや発言はもちろん、人生を通してのメッセージ性もある。

 本書は参考文献有りきで話を組み立てているが、セリフの脚色も試みた。背景や経緯に関する理解への一助を思ってのことであるが、蛇足ではなく付加価値になるよう努力をした。特に第一章では、セリフの脚色が多くあるので、もしも歴史事実を確認したいのであれば、最後にある参考文献との照合が必要となることをご了承願いたい。その他の文章は原則、史実と推測に基づいている。

 それから、歴史を重んじたく時系列順を厳しく意識した。既存の資料や文献の中で、彼が回顧している事柄が数多く存在しているが、同じ有名人に何度も会っているし、ヨーロッパやアメリカへは何度も行っているため、史実分析にあたり時間的な前後関係が混乱しかねない状態であった。これを本書で一度整理をさせてもらった。

 本文の中で、史実の説明や事柄の解釈について賛否の議論があると思われるものがあるが、基本的にそれはあくまでも主人公がそのような考えや解釈をしていたという立場を尊重したことに留意していただきたい。

 参考文献は最後に羅列するものと、その場その場で特記したものがある。都合によりご容赦いただきたい。

 さて、数十年後の将来には人工知能が全書物の全文検索をしているであろう。それは必ず彼のデータを拾い上げる。コンピューターが政治や経済や歴史を語る、教えてくれる、説教をする、指導してくれる。そんな一助のためにも、優れた実績データが必要である。本書ではこの準備も志しておきたい。

 

 本書の主人公は、劇的なことを嫌うも、劇的な人生を歩んだ。しかし、そういったことはひけらかしもしない。あるインタビューアーから「政治家のスター性」という話になった時、こんなことを言っている。

「こちらはハプニングは苦手、ドラマチックにならないようになんて言っている。ずれているみたいですなあ。」